
どうもKmama(@k_fam3mama)です!
未来の子育てや、どんな未来になっても対応して生き抜ける子どもを育てるための教育方法についてのブログを書いている私ですが、気になることがあり調べてみました。
それは「現代の日本の教育制度」についてです。
掲示板やSNSなどでもいろんな意見が飛び交っていますが、私自身も「日本の教育制度」についてを考えてみました。
「日本の教育制度」このままでいいの?
日本は、格付けを好む風潮にありますよね。
「学歴・偏差値・年収・・・」これらが、その人を判断する材料になっていたりします。
AI時代が到来すると言われ、これら「格」は今後はほぼ無意味になるというのは、みなさんはもう承知のはずです。
これに合わせて日本の学校の教育制度も、少しずつですが、変化していっているように思います。
でも・・まだまだこの風潮や「教育方法」が変わらないのが現実です。
- 高給を目的とした学習
- 型にはまった進路選択
- 過度な集団主義
- 個性を認めない
- 長い授業時間
- 成績による格付け
これらは日本社会が求める「人材つくり」に基づいて定められた教育制度だとは思います。
でも、本当にこのままの教育制度で、未来を作り出す人材が育つのでしょうか?
「考える」ことができない今の子どもたち
とある教師経験者の方は、こう言っていました。
私は過去2つの学校で教師をやっていた。
1つは学力レベルも高い進学校、もう1つは問題児も多かった総合商業学校だ。
生徒の雰囲気も学力も全く違う学校だが、だんだんある共通点が見えてきた。
それは「考える」ということが全くできないということだ。
教科書をまる飲みして、満点得点を出す子はいたが、ただそれだけなのである。
とくに中高生ともなると「受験勉強」に重きを置くため、「思考力」を使うことがなくなります。
この「受験のための勉強」にとらわれた子どもたちは、社会に出てから本当に必要になる「考える」ということをしなくなるんです。
また、その方はこんなことも言っていました。
「考える」事のできない子どもたちは、世界の舞台では負けるしかない。
なぜなら、自分で意見を創ることも、対応することもできず、自身もないからだ。
学年が上がるにつれて「育つ」がなくなりつつある。
それは日本社会が、未来社会に積極的に属する人間を築くより、入学試験に受かる人間を作り出すからだ。
あなたは、この言葉を聞いてどう思いますか?
私は、子どもの将来が不安になりました。
日本の現代の親たちは、こんなにも「グローバル化」や「考える力」を育てる教育が大切だと気付いてきているのに、肝心な子どもたちが学ぶ場所がこのままなのです。
もちろん、子どもの将来に必要なことを学べる学校は、日本国内にもあります。
でも、その学校に「すべての子どもたち」が行けるわけではないので、必要な学びを平等に受けられないのです。
海外の教師も心配する、日本の子どもの積極性
「考える力がない」ということも問題ですが、海外では「日本の子どもには積極性がない」という心配の声が上がっています。
外国人教師が日本で教師をしたとき、皆驚くのがこの「積極性のなさ」です。
日本では、先生が質問しても手をあげて答える子どもがほとんどいません。
幼稚園・小学校の間は手をあげて発言する子がちらほらといるのですが、中学・高校と学年を重ねるにつれて、どんどん挙手率が低くなるのです。
「恥かしいから」が理由で手をあげない子がほとんどで、これでは「自分の意見を主張できない子」になってしまいます。
- 間違えることが恥ずかしい
- 人前で発言をすることが恥ずかしい
だから答えるときは「先生にあてられたら答える」という完全な受け身状態です。

こうして育った子どもたちが、大人になった時に未来社会を切り開いていけるでしょうか?
積極的に発言・回答ができる環境作りや、発言の場を授業のカリキュラムに組み込んでいくことも、今の日本の教育には必要だと思います。
海外に学ぶ!日本の教育制度の変わるべき姿
日本の教育制度は、「入力型教育」にだけ力を入れるのではなく、「出力型教育」にも力を入れるべきです。
- 考える力
- 個性
- コミュニケーション能力
これらの「未来社会に必要とされる能力」に重点を置いた教育制度にするべきだと思います。
海外では「考える力」を育てるための授業があるのは当たり前ですし、「飛び級」も当たり前です。
アメリカの中学・高校では、多くの授業が「ディスカッション(=討論・討議)」で進んでいきます。
「暗記でいいんじゃないの?」と思える歴史の授業でさえです。
「この最高裁判決を読んで自分の立場を明らかにせよ。また一時的情報を使って自分の立場を正当化せよ。」
テストに出てくる問題も、年号の暗記ではなく、こうしたエッセイベースが主なんです。

おもしろいと思いませんか??
テスト勉強では「真の学力」は身につかないという考えのもと
- 自分で考える力
- 実行能力
- クリティカルシンキング(批判的思考)
を身につけるための授業・テストを行っている。
「真の学力」を身につければ、好奇心が芽生え、好奇心で自ら楽しく身につけた知識は頭に長く残り、使える知識になるという調査結果も出ている。
日本でもこういった「教育制度」を取り入れれば、子どもたちはより「学び」に励み、そしていずれは日本の未来社会の開拓者という人材に育つと思いませんか??
今の日本の教育制度はあくまでも「受験」重視で学力に力を入れています。
ですが、海外の教育制度は「真の学力」と「非認知能力」重視で、子どもが本来持つ能力を最大限に発揮する環境整備に力を入れています。
心が折れてしまえばどんなに高い学力があってもそれを発揮することは難しいし、強い心があっても真の学力がなければ自分の考えを形にすることも正しく伝えることもできません。
だから「真の学力」と「非認知能力」の両方を一緒に伸ばすのです。
考える力を身につけることができれば、「独自の発想」をすることができ、それが「個性」としても尊重されることに繋がるのではないでしょうか?
また、この「ディスカッション」方式の授業は、未来社会に必要とされる能力の1つである「コミュニケーション能力」を伸ばすのにも効果的です。
少し前に「日本の子どもの積極性のなさ」についてお話ししましたが、これを補うのにも「ディスカッション」が役立ちます。
人と人とのやりとりの中で、子どもたちは「コミュニケーション能力」を鍛え、自分の意見をはっきり言え、また、人の意見を聞く姿勢が育ちます。
子ども時代のこうした経験が、大人になった時に社会で役立つ「ビジネススキル」になるのではないでしょうか?
- コミュニケーション能力が身につく
- 考える力が身につく
- 発言能力が身につく
もっと、グローバルな教育へ
グローバルでの競争・協力ができる人材がいなくなると、日本は終わりだと言う声を聞きます。
しかし、日本人の外国への関心が少ないのが現状で、留学数もどんどん減ってきています。
これってものすごく危機ですよね?
多くの日本人は英語に対する劣等感と、完璧に話そうとする姿勢のために、国際交流から遠ざかってしまいます。

そう、最大の壁は「言語」なんです!!
それを学校で克服できたらどうでしょう?
将来、グローバルで活躍できる人材がたくさんできるのではないでしょうか?

子どもたちの選択範囲も国内から世界へと広がりますよね!
とくに必要とされる「中国語」と「英語」を必須化、中学卒業時には「国際的に使われている資格」を取得することを目標としたカリキュラムを取り入れるべきなんです。
国語・算数・理科・社会・体育、どれも必要な科目ではありますが、将来のことを考えると「外国語」はとても重要なものです。
現在の教科の基礎はしっかり教え、将来を見据えた「外国語」に力を入れるほうがよっぽど有意義だと思いませんか?
英検やTOEICなどの資格は、日本国内でしか役に立たない資格なので、正直必要ありません。
目指すべき獲得資格は、世界に通用する「TOEFL」や「IELTS」なのです。
- 英検やTOEICはいらない
- 必要なのはTOEFLやIELTS
- 学校で中国語・英語を必須化
- 最大の壁「言語」の克服
宿題のあり方について考える
私たちの頃から国語の宿題で「音読」や、「平家物語」を暗記して発表するというものってありましたよね?

これってとっても無意味な宿題だと思いませんか?
わざわざ国語の宿題で「暗記」を強いる日本の学校の宿題のあり方についても、考え直すべきだと私は思います。
小学校だと「物語」を活用した国語の授業が多いですよね。
「音読」は物語を知るために1回ならあっていいと思います。
でもわざわざ、5回音読や10回音読なんて必要でしょうか?
そんな無意味な宿題をするのであれば、「この物語を読んだ感想を書きなさい(発表しなさい)」や「この物語の主人公はどんな気持ちでしょう?」のように、考える力や発想力を伸ばしてあげる宿題のほうがよっぽど有意義ですよね?
宿題においては、日本の教育制度とは関係なく、学校側で変えていくことは可能だと思います。
なので今一度、宿題についてのあり方も考え直していくべきなのです。
まずは家庭で取り入れてみる!
日本の教育制度を変えたい!変わってほしい!と思っても、一個人の意見で変わるはずもありません。
でしたら、私たち親にできることは、まずは家庭で「教育」することです。
教育と言うと堅苦しくなっちゃうんですが、要は勉強は学校でもできますから、学校で教えてもらえないことを家で教えてあげればいいんです。
- 家族間でディスカッションを取り入れてみる
- 学校の宿題から「問い」を出してみる
- 家で発表させてみる
- 好きなことを好きなだけさせてみる
家族間でディスカッションを取り入れてみる
ディスカッションは、討論・討議のことを言います。
実はこれは家庭で取り入れるのは簡単で、意見交換をすればいいんです。
例えば、小学校低学年の子どもがいると想定して、家族で遊びに行くことになったとします。
そこで、行先について、子どもと親の間でディスカッションしてみるんです。
「ママとパパは遊園地がいいと思うな。」
「僕(私)は動物園がいい!」
「どうして動物園がいいの?」
「夏はショーが見れるんだよ!」
「遊園地はたくさん乗り物に乗れて楽しよ?」
「乗り物か、動物か・・・」
「どっちのほうが楽しいと思うか想像してみよう!」
という感じで意見のやり取りをしながら、同時に「想像」という考える力も使っていきます。
そして、みんなで満足いくまで話し合うんです。
「子どもの行きたい方でいいやん」と思うかもしれませんが、家庭に「ディスカッション」を取り入れるには、いちいち子供にも意見を求め、そして話し合うということがとても効果的なんです。
学校の宿題から「問い」を出してみる
「宿題のあり方」でも言いましたが、学校の宿題に追加で「問い」を与えることなら、家庭でもできます。
宿題が終わった後に、親子で「主人公はどんな気持ちだと思う?」とか、「なんのお話しだと思った?」とか。
親がその物語を読んで感じたことも、同じように子どもにも伝えながら「問い」を出してみましょう。
親が思ったことと、こどもの思ったことで違いがあれば、それはまた面白いものです。
こうして宿題にプラスアルファで「問い」を与えてあげれば、たくさんの「発想」や「解釈」、「考える力」を家庭で伸ばしてあげることができます。
家で発表させてみる
例えば、夜の家族が揃う決まった時間などに「今日あった出来事」など、なんでもいいので家族の前で発表させてみましょう。
これは「人の前で発言する」の練習になります。

家族は、発表が終わった後に質問してみましょう!
「今日、○○はこれをしてどんな気持ちでしたか?」
「○○という遊びをママは知らないので、教えてください」
などです。
発表・質問に答えるの練習は家でもできます。
家庭で基礎の練習をしていれば、人前での発言も臆することなくできるはずです。
好きなことを好きなだけさせてみる
学校で勉強をしてきているので、家では「好きなことを好きなだけ」させてあげましょう。
子どもは自分が興味のあることやモノには、ものすごい集中力を発揮します。
この「集中力」を家庭で養うことができれば、学校でも社会でも「集中」することができます。
満足いくまでさせてあげることで「達成感」も覚えることができます。
「集中→達成感」が身につけば、達成感を味わうまで集中できる子どもになっていくのです。
語学は家庭では難しい
家庭で補おうとしても「語学」に関しては親ができないと教えることはできません。
でも「家庭用教材」や「習い事」を利用して習得することはできます。
家でできる簡単な「英語を教える方法」については、こちらの記事で紹介しているので、ぜひ一度読んでみてください。

日本の教育制度について私が思うこと
私は3人の子どもを持つ母親ですが、まだ幼稚園児なので学校には通っていません。
教育に興味を持ち始めてからは、日本の教育法だけでなく世界の教育法についても調べています。
そこで疑問に思ったのが、現在の「日本の教育制度」です。
この記事でお話しした「教育改革に求めること」の意見は、私の求める教育の理想です。
これから学校に通わせる方や、すでに学校に通うお子さまをお持ちの方にも、改善してほしい部分はたくさんあるのではないでしょうか?
2020年から「プログラミング」が必須化され、日本の教育も変わりつつはありますが、大きな改革というものはまだまだ先が長そうです。
でも、子育てをしている最中の私たちからすれば、今すぐにでも変えてほしいと思ってしまうものです。
自分の子どもには、将来生きていくための必要な能力を伸ばしていってほしいのですから。
ではまた。
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